どうも、まるぞうです。
気づいたんですよ。偉人たちの共通点にですよ。あなたは、気づいてましたか。別に偉人になりたいとかではないのですが。知っていると、違いますよ。あなた自身にも今からでも活かせますよ。それはね・・・・・信念に忠実に行動しまくっているんですよ。
いや〜気づいてしまいましたよ。どの偉人も、自分の信念と感じた物事の違和感に対して忠実に突き詰めているんですよ。そういう人たちは、偉人として何かを残している人が多いですね。すごいな〜で終わるのは、勿体ないですよ。あなたに偉人になれとか、偉人みたいに〜みたいなことは、言いませんよ。
僕が言いたいのは、あなたは、自分の今の人生に満足していますかってことです。どうですか。もっとこうしたいとかあるんではないですか。僕は、ありますよ。今、それを形なかえることに日々、悩みまくっています。悩んでいてもしかたないので、行動に移すことで次が見えてくるんですよ。その見えた状況に悩めばいいんですよ。これは、自分にも言い聞かせていますが。
このブログを始めて2ヶ月になりました。この3月は、僕にとって、いま思うことを形にしていくつくにしていこうと行動に移し始めますので、良かったら一緒にお付き合いください。
僕が、それに気づいたのは、『革命家チェ・ゲバラ』の半生いついて、学んでいたときのことでした。ゲバラの名前は、知っていたのですがあまりちゃんと彼のことを知る機会がなかったんです。そして、たまたま彼の半生を見るきっかけがあって、夢中で見ていた時に彼の半生と僕の今の悩みがリンクするところがあったんですよ。本当に彼に教わったというか、背中を押されたような感じです。彼の半生を簡単ではありますが、紹介させていただきます。
1928年6月14日にゲバラは、アルゼンチンで生まれたんです。ゲバラは、幼少期に喘息性気管支炎でした。学校も行けないぐらいの病弱でした。ゲバラは、教育熱心な母親に勉強を教わり、家にあった3000冊の本は、ほとんど読了していたそうです。19歳の時にブエノスアイレス大学の医学部に進学しました。それは、自分と同じ病弱な人を救うためでした。
しかし、ゲバラは、医師というエリート人生に迷いや違和感を感じ、医学部に在籍中にラテンアメリカの各地を見にオートバイで旅に出ます。それは、今まで生きてきた環境とは違う、別世界を見にいくことでした。その旅で、チリを訪れた時に喘息の高齢者を診察した時に感じたんです。「自分と違い貧困のために薬を買うことができない」と。その当時は、貧富の差が問題になっていた時でした。ゲバラは、この貧困に対して疑問を持つようになりました。
ゲバラは、大学を卒業後の25歳の時に2回目の旅に出ました。今度は、どうやって世の中の貧困を解決するかを探る旅に出ます。訪れたボリビアで、貧しい国民が武器を手にして、政治権力に立ち向かう革命を起こしていることに衝撃を受けます。そして、次に訪れたグァテマラでは、政府が、貧困解決に向けて動いている光景を目の当たりにします。
しかし、隣国からの武力行使が始まりました。その背景いたのは、アメリカです。グァテマラの政府の貧困対策は、当時グァテマラに土地を持つアメリカ企業が多く、その企業の土地を政府が買い上げたためにアメリカは、大打撃を受けました。そのためグァテマラの政権を倒そうと隣国を利用したのです。この時に、ゲバラは、武器を持って戦うことを決意します。しかし、グァテマラの当時の大統領は、国外逃亡をし、革命軍にいたゲバラは、メキシコに亡命しました。
この亡命したメキシコで、キューバのカストルと出会い、キューバの貧困層救済のために戦いを始めます。この時に戦士として戦うことを決意します。しかし、相手を殺すのではなく、カストロの想いもあり、キューバ政府軍の負傷兵を手当をしたり、近隣の村の人々に治療を施したり、教育をしたりとキューバのために尽力を尽くします。そして、30歳の時にキューバを解放することに成功するのです。
キューバの発展のために、農地改革や工業改革に着手します。この時、ゲバラは、大臣の役職にありましたが、休日は、国民と一緒に、建設現場や工場や畑で働きました。これは、束の間の休息にすぎませんでした。
ゲバラは、キューバの代表で世界舞台へと出ていくようになり、その場所で、貧困撲滅のために数回ののスピーチをします。このスピーチの中で、先進国が高い生活水準を保てるのは、途上国があるから成り立っていると発言します。そして、『途上国から搾取する社会主義国家』と言ったのです。これは、当時、貿易主要国家であったソ連にも該当することでした。ソ連を否定したことにより、ソ連は、ゲバラを更送しないと支援をやめるとの状況に、ゲバラは、キューバを去ります。
そして、アフリカ諸国を訪れ、コンゴの独立に向けて尽力を尽くすのですが、現地の革命軍の士気の低さに呆れた時に、持病の喘息が発症し、コンゴを後にします。そして、一時、チェコスロバキアで療養をするのですが、この地でも社会主義の問題に直面します。しかし、この地では、ゲバラもどうしようにもない状態でした。ゲリラ活動が通用する国ならなんとかできると思い、チェコを後にします。
そして、次にゲバラが向かったのは、南米のボリビアです。ボリビアもキューバと同じくアメリカの影響を強く受けていました。この地で、ゲバラは、戦うことを決意するのですが、ボリビアの人々にからの思想を受け入れてもらえることができずに一年間、現地で戦いましたが、政府軍に捉えられてしまいます。その翌日に、銃殺されます。39歳でした。この後、ゲバラは、みせしめに死体をボリビアの国民に公開されます。ゲバラの最後の言葉は、『撃て。恐るな。俺は、ただの男に過ぎない』といったと言われています。これは、ゲバラを銃殺する若い兵士が、怯えていたので、この言葉を発したと言われています。
ゲバラの信念は、世界中の人々を貧困から救うことにあったと言います。この想いでゲバラは、人生を賭けて世界をを駆け巡ったのです。ただひたすらに他人を救うために。
ゲバラは、キューバを解放した後に、大臣をしている時に、キューバ国民と一緒になって働いているときにこんなことを言っています。ゲバラが目指す生き方とは、新しい人間と表現しています。その新しい人間とは、自分のためではなく他人のために自らすすんで働く生き方のことを指しています。一人一人がそういう考えになれば、苦しみで被わた世界を自分たちの手で変えることができると信じて人生をつきすすすんで行きます。
この信念をもとに世界を駆け巡ったのです。すなわち行動することが大事なのです。大臣職の休日に国民とボランティアだ働く姿を通して、証明してのですから。簡単にできることではないですね。ゲバラを動かしていたのは、苦しんでいる他人を救いたかった。この行動するということに意味があり、今回の僕のブログで書きたかったことです。なかなか、想いを行動に移すことは、容易ではありません。
しかし、それをしないと人生を自分のために生きることは、できません。あなたは、今、それができていますか。自分の信念に忠実に行動をしていますか。日本人は、特に他人の目を機にする傾向にあります。自分の信念に忠実に行きている人をみると、自分勝手と見える人もいるかもしれません。それは、違うのです。例えば、自分の信念といっても人の道を外れることは、いけませんが自分の人生を自分が思うように生きることは、大事です。
あなたは、何か我慢をして生きていませんか。こうしたいと思うことをそのままにあなた自身の人生で、表現すればいいのです。今回、例としてチェ・ゲバラの半生を紹介しましたが、他の偉人も同様です。自分の信念に忠実に行動をして結果が、歴史を変えたり、名前を残す偉人となったりしているのです。こう言った偉人の人たちの半生を見ていると生きることを楽しんでいるように感じます。あなたも僕も、そう言った人生を歩んでいけるように信念に忠実に生きて行きましょう。
今日もお付き合いいただきありがとうございました。
明日もよろしくお願いします。