どうも、まるぞうです。
今回のタイトルは、HIP HOPアーティストのRYUZOさんのリリックの1節が妙にしっくりきたので、引用させていただきました。リスペクトするアーティストの1人です。僕に、HIPHOPを足教えてくださった1人です。
皆さんは、この1節に思い当たることは、なんでしょうか?ありますでしょうか?この言葉に込められているのは、人もそうですし、出来事もそうです。
人との出会いは、数多くあります。その中には、長続きする人もいます。ある出来事の時だけ一緒に時間を過ごす人もいます。それは、状況により、様々です。例えば、異性関係という例がわかりやすいでしょう。
恋人関係、夫婦関係というものは、一緒にいる時間は、様々ですが苦楽を共にします。恋人関係や夫婦関係では、ある出来事をきっかけに関係が切れることがあります。別れという部分です。
別れが起こる出来事にどうあなたは、考えますか?
そうなる時って、よくないことが起こっている状況でしょう。相手の責任ですか?自分の責任と背負い込みますか?あなたは、どうでしょうか?
一緒にいる時間を過ごすことを誓ったときにあなたは、こう思っているはずです。
『この人と幸せな時間を築くんだ』って。
こう思ったのに、結果としては、別れが生じているんです。根本的に人として合わないとかは、あるかもしれません。愛する人の素をみて、幻滅する場合があるかもしれません。そこで、どう捉えるかが大事だと僕は、思います。
一緒に、よくない出来事に向かって立ち向かうのか、別れるのかは、個人の自由です。そこで悲壮感に浸るではなく、成長の糧だと捉えてほしんです。自分が成長するために、今回の出来事が起こったのだと捉えることが大事と思います。
自分が成長するために、この人と出会ったと捉えられると、考え方もポジティブになりますし、行動もしやすくなります。ネガティブ志向だと、行動もできず立ち止まってしまいます。
止まることは、簡単ですが成長はありません。いかに行動できるかが、大事です。幸せになるためです。楽しい人生を歩むためです。幸せや楽しさという部分は、人それぞれですが。
今回、僕自身が、このようなブログを書くきっかけとして、思い描いたことは、人間関係を考えたときに今まで、多くの人と出会い関係を築く中で、自分は、どのように生きてきたのかと振り返ったからです。
夫婦関係、家族関係もそうです。この部分は、関係が濃い分なかなか難しい問題かもしれません。しかし、放置することもできません。日進月歩で、状況は、変わっていきます。人の心というものは、移り変わりが激しいものですから。
人って、人に伝えなければ、内心では何を考えているかは、わかりません。共にする時間が長い分、相手のいいとこも見れば悪いところも目にします。だから、余計に難しいのです。
ここで大事なのは、この出会いの目的を確認するという行動です。
僕の場合だと、奥様と結婚するときに『幸せな時間を築くんだ』って想いで一緒になりました。その目的を思い出したときに、僕の夫婦関係は、明確になったんです。
僕が、こうやって本を読んで学んだり、ダイエットをしたり、ブログをしたりと行動を起こして、実行できてるのは、この人と幸せになるためだったんだって目的がはっきりしました。
奥様とじゃなかったら、今の僕にはなっていなかったでしょう。まぁ、それは、わからないことなので、どうでもいいのですが。
子供にしてもそうです。僕のところに生まれてきてくれた子供があの子だから、僕は、成長させてもらっているんだなぁって感じることができます。一緒に勉強をしたり、一緒に悩んだり、夫婦で、子育てに悩んだりするから成長させてもらっているんです。
その度に僕は、いろんな本を読んで学んだり、経験をしたりさせてもらっていると感じることができるようになりました。こうしたきっかけがなかったら、僕は、惰性のまま人生を歩んでいたと思います。
愚痴を垂れ流し、不満だらけの人生を歩んで死ぬときには、後悔だらけだったでしょう。
最近、祖父母、両親にも感謝を感じることが多くなってきました。幼少期からの多くの教えが、僕を形成しています。そんな僕が、感じたことや行った行動を人にしたときに感謝されたときにあの時のあの教えが、人の役になったと思うのです。
僕でも人の役ん立てる人間なんだって思えるからこそ、育ててくれた祖父母、両親に感謝するんです。
仕事の人間関係もそうです。仕事でのミスを謝れずにいた僕に、謝ることを教えてくれた鍛冶屋の社長。この時の僕は、くだらないプライドが邪魔をしていたように思います。くだらないプライドを壊してくださったことに、感謝をしています。
鍛冶屋で仕事をしていた時期は、僕の人生の形成の上で、下積みと言われる時間だったのかもしれません。今は、そう感じています。
僕の仕事に対する考え方を気づかせてくださったのも、その時期です。あの時期は、苦労も多かったですが、あの苦労があったから今の僕があるのです。あの出会いは、僕の成長の種だったのです。
ほんの一部の僕の実体験ですが、人や出来事の出会いは、偶然だが必然であることを後になって、認識することができます。体験している時は、苦しいことも多くありますが、苦しい時こそ成長の時であると、最近では、捉えられるようになってきました。
新たな人生が開けるとワクワクしながら、日々楽しんでいきます。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。