HIP HOP

ブログの今後の展開!HIP HOPに魅了される人生


どうも、まるぞうです。

これからのブログですが、HIP HOP哲学というジャンルの記事も書いていきます。僕自身、過去に音楽活動をしていたことがありまして。ちょいちょいブログには、書いているので、知っている人もいると思います。

本気で、これで生計を立てていくと決意して行動していたのですが、1度の挫折ではなく、2度の挫折をしました。僕の音楽活動を振り返って言えることは、本気で、音楽で生計を立てていくと決意できていなかったことです。

ただ、イベントをやって、ライブをやってという繰り返しなだけで、何を目標として、どう行動するということが決まっていませんでした。わかりやすく言えば、中身がなかったんです。

ただ、やってるだけでした。もっと戦略的に行動ができたなら、現状は変わっていたかもしれません。音楽活動としては、挫折はしましたが、そこで学んだことは、いっぱいあります。今も、音楽活動をしていた当時に学んだことに助けられることが多々あります。

今、音楽活動は行っていませんが、HIP HOPを聴くのは、大好きです。僕が聴く音楽のメインジャンルは、HIP HOPです。HIP HOPというと、昔は、親父に「お経みたいな音楽やな」って言われました。HIP HOPが流行った当時は、そういっていた人が多かったですね。

音楽には、いろんなジャンルがあって、それぞれに歴史があります。HIP HOPというのは、ラップ、ブレイクダンス、グラフティー、DJプレイ、言語、ビートボックス、などいろんな要素があります。皆さんも聞いたことのあるものもあると思います。

HIP HOPという呼称をつけたのは、アフリカ・バンバータというアーティストです。HIPとは、かっこいいという意味で、HOPとは、跳躍するという意味です。音楽やダンスだけではなく、ファッションやアートといった黒人の創造性文化を『黒人が弾ける文化』という意味で、HIP HOPという様になりました。

この当時は、人種差別もあり、黒人の家庭は、貧しいところが多かったと思います。スラム街といわれる場所に黒人の人たちは、住んでいたと思います。失業率も高かったと思います。

そのため、満足に教育も受けられなかったの人もいたかもしれません。スラム街では、ストリートギャングというものもいたといわれています。いろんなギャングチームの抗争があり、若い命が失われていったそうです。

それを食い止めるために、ブレイクダンスを作ったともいわれています。2000年ぐらいに日本でもHIP HOPが、アメリカのHIP HOPを真似して、ダブダブのオーバーサイズの服を着るファッションが流行っていました。

なぜ、オーバーサイズの服を着ていたのかというと、貧困層が多かったために、大人の服を子供が着ていたという背景がありました。アメリカのHIP HOPアーティストが、これでもかっていうぐらいのきらびやかな装飾品を身につけていたりもします。

その背景には、自分は、成功者だという証だそうです。やはり、貧しくて苦労をしていたという背景があるので、こういった振る舞いをするのだと思います。

このHIP HOPは、音楽の1ジャンルに過ぎませんが、歴史としては、人の苦労の上に成り立った音楽です。いろんなジャンルを見ても、こんなに色こい音楽は、ないと思います。僕自身は、このHIP HOPに初めて聞いた時から今も尚、魅了され続けています。

HIP HOP DREAMと言われるだけあって、世界中の人が、この音楽で成り上がろうと挑戦しています。それだけ、成功者になると夢があるからなんですね。その夢を成功者である、HIP HOPアーティストは、見せてくれています。

先ほど人の苦労の絶えなかった歴史があると書きましたが、その部分は、ラッパーが吐き出す言葉に明確に表れます。HIP HOPとは、生き様表現法であるというアーティストもいました。

本当にその通りだと僕自身は、思います。このHIP HOPを通して僕が学んできたことを今後は、ブログとして書いていこうと思います。人の人生ストーリーには、学ぶものがあります。

音楽という媒体ですので、受け取りやすかと思います。これからのブログを楽しみにしていただけると嬉しいです。

本日も最後までお付き合いくださりありがとうございました。


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