人生

供給過多の弊害


どうも、まるぞうです。

このブログでは、よくバランスが大事だということを申していますが、バランスが崩れることによってどういった弊害が人には起こるのかを今回は、書いていこうと思います。

世界では、消費社会がますます拡大をしています。使い捨ての時代です。そのため、世界は、物であふれています。あふれかえったものを作る為に、地球上の資源が枯渇をしていっています。

環境問題という名目で、世界では、会議をされていますが、問題の本質がすり替わっているようにも感じます。消費社会を維持する為に、どうやって環境を保っていくかということを世界中では、話し合っています。

地球の温暖化についてなどです。現状をいかに維持していくかしか考えていません。問題は、いかにものを大切にして、消費社会を向け出すかが大事ではないでしょうか?人間は、発展することを目標に、日々、努力をしています。

この発展を追求するあまり、犠牲にしているものが多くあるように思います。この犠牲を当たり前に考えすぎていないでしょうか?

宇宙旅行が目前となった今、人間は、地球を捨てるのでしょうか?

まるでアニメの世界のように、なるのでしょうか?

そうなったとしても、人間としてものを大切にするということは、大事ではないでしょうか?物のように人も同じ扱いになってしまいそうで心配です。日本では、人口減少の一途たどっています。

これは、避けては通れない事実です。この事実を目の当たりにして、手を打つことすらされません。それは、政治にも問題があることは、明確になっています。そこに気付いていない若人は、多くいます。

インフルエンサーは、日本は、詰んでいると言っています。まさしくその通りだと思うところもありますが、この状況をどう打開していくのかは、これからの未来の人たちのことを考えて取り組んでいくべきです。

団塊世代と言われる60歳以上の人口の方が、40歳代より若い世代よりも多いことは、明確となっています。その為に、政治家は、票を撮ることを考えて、団塊世代向けの法案を作ることを中心に政治を展開します。

今の政治は、より良い未来というよりも、今をよりよく過ごすにはどうするかといった政策しかありません。若者たちは、税金という名の搾取にあい、貧困化しています。その為に、「〜の若者離れ」というものが、頻発しています。

それを、「若者は、〜に興味がない」という言葉で片付けないで欲しいです。現状をしっかり見極めて欲しいです。

現状を見極めるという部分では、日本だけではなく、世界情勢も日進月歩で変わっています。かつて、発展途上国といわれていた国の現状も変わってきています。発展途上国といわれて想像されるのは、貧困ということだと思います。

僕もそうだと思っていました。ですが、今では、一部では、物があふれかえっているところもあります。寄付ということで、多くのものがその国には、集まります。ものがあふれかえっています。

そういう状況なので、例えば、車が壊れてももらえるという思考に変わります。ものを大切にしません。乱暴にものを扱っても何の罪悪感もありません。僕たちが良かれと思ってやっている行為は、人をダメにしているということも知っておかなくては、いけません。

ニュースなどで、貧困地域などの特集をすることもあるので、目にすることもあるかもしれませんが、その状況も世界の一部であって、ものがあふれれかえっている国も一部ではあるということも知っておかなくては、いけません。

これは、世界情勢だけにいえる事だけではなく、日本でも同じようなことは、起こっています。それは、被災地への救援物資として贈られる物でもありうることなのです。その状況から、被災地現地では、物の廃棄が増え、物の焼却費が余計にかかるということもあるそうです。

一局集中で、日本中の物を被災地に集中したら、それを消費する人の数にも限りがあります。そういったことも被災地の被災状況として考えるべきではないでしょうか?

現代の日本の子供にも同じようなことが言えるのではないでしょうか?

子供よりも大人の人の方が多いのが、日本の現象です。日本は、少子化社会です。高齢化社会でもあります。健康寿命が伸びたこともあって、働いている高齢者も多いです。その高齢者に、孫ができたなら、可愛くて仕方がありません。

それは、子供の親である両親も同じことが言えます。子供から見て、祖父母、現存であるなら曾祖父母(祖父母の両親)も含めると、多くの人からものを与えられます。その為に、ものを大切にしないということもあります。

我が子もその影響は、あると感じています。また、誰かが子供のために良かれと感じて、子供自身の問題をこなしてしまいます。そのような状況が当たり前となった子供は、いざと言う時に何もできずに、自分の無力さを知って悲壮感に浸ることもあります。

自分の無力さを知って、そこから学ぶ子ならいいのですが、全てがそういう子供とは、限りません。人として、これから生きていく上で心配でなりません。人として大切なことは、身につけておくべきだと僕は、思っています。

これは、タイトルにあるように供給過多の弊害ではないでしょうか?

それは、物もそうですし、愛情もそうです。愛があるが故に、その子を思って厳しくすることも大事なのではないかと、我が子を見ていて感じています。これからの行く末を考えて、我が子がより良い人間として、育ってくれることを祈って、子育てに奮闘しいきます。

正解のないことだけに、子育てという名目の成長の種であります。1人の人を育てるということの大変さをつくづく感じます。僕も両親にそう思って、育てられたんだなぁって感謝をしています。

人の親になって、学ぶことの多さを痛感します。僕の一言で、この子を殺すことも生かすこともできます。人として、試されていると感じながら子育てをしています。日々、成長させてくれる我が子に感謝をして、楽しんで子育てをしたいきたいです。

今日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。

 

 


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