価値観

個性と価値観と調和


どうも、まるぞうです。

人は、誰しもがそれぞれの個性と価値観を持って、調和の中で生きています。それぞれの個性と価値観と調和いうところが、今回のテーマです。

人は、自身の価値観を相手に強要しやすいです。無意識のうちに自分の価値観を相手に強要しています。「常識的に〜」とかいうときは、自身の価値観を強要しています。

常識とは、それぞれが作った平均であると僕は、認識しています。この常識が、世間でのバランスだと位置付けをして生きています。それぞれの価値観=常識だと思ってもいいと思っています。

僕たちの価値観は、教育やそれぞれの家庭環境の中で育まれます。僕たちが受けている教育というのは、個人の主張は、許されないようなものです。ロボットのように、みんなが一緒というのが当たり前だと教わっています。

少しでもその枠を外れると、不良というレッテルを貼られます。個性を出そうとすれば、個性を否定されます。そうやって育ってきた僕たちは、当たり前のようにみんなと同じであることに安心感を覚えています。

その安心感から抜け出せないでもいます。今は、個性が活かせれる時代です。個性を生かして、何かをすることに価値を見出されています。今、インフルエンサーや人に影響を与えている人は、個性を生かせている人がほとんどです。

この個性というのは、戦前の日本では、大事にされていました。それは、福沢諭吉の『学問のすすめ』を読めば、書かれています。個性を生かすことと個人主義とは、また、別の意味です。

個性というと周りのことは、気にせずに個人を優先させればいいと思いがちですが、そうではありません。それは、先ほどもいった個人主義です。個性とは、その人特有の性格や性質です。

今、教育は、見直されつつあります。個性を大切にするための教育を模索されています。海外では、自分の学びたい教科を自分で選ぶ教育方法をとっている国もあります。海外とは異なり、日本は、平均的な人間を教育して育てていきます。

親である僕は、子供の個性を活かしていきたいのですが、僕たちが受けてきた従来の教育から我が子が外れていると、枠の中に戻そうとしてしまいます。これがいいのかどうなのかは、わかりません。

人によって、得意不得意はありますがするとしないは、違います。やらずして不得意と決めがちですが、一度挑戦してからどうか決めることの方が重要だと思います。僕は、やらずして不得意と決めていることが断然多い方なので、気づいた今からでもやるようにしています。

個性と価値観を活かそうと思う中で、他者の存在は、否定できないです。他者があっての自分ですし、その中で初めて個性と価値観の違いに良さが出てきます。人と違うことは、当たり前です。

それを当たり前だと感じられない社会の動きもあります。日本の企業は、個性は、いらないといったスタンスにあると言われています。

学校教育の場所でもそうですし、社会人になっても個性と価値観を活かしきれないでいる人は、たくさんいます。その理由は、日本人の気質にあるのかも知れません。

日本人は、特に調和ということを基本に考えます。これは、縄文時代や弥生時代の日本人からそうであったことがわかっています。日本人というのは、争うことを好まずに、対話を持って解決することを一番に考えてきました。聖徳太子の説いた日本最初の憲法である17条憲法に記されています。

第1条に対話をもって解決せよと記さています。その時から、日本人は、周囲の諸国よりこの人種はなんだと驚かれていたそうです。この調和の中で、個性を活かすことの難しさを僕は、今感じています。

ブログの冒頭に書きましたが、それぞれの価値観に対話によって落とし所を作るところが難しいと思っています。価値観の強要というものが邪魔をします。僕が感じるに、多くの人は、価値観の強要を当たり前のようにしていると思います。

僕自身も気を抜けば、価値観の強要をしてしまいます。そうならないように、意識もしていますが、行っていることの意味が、価値観の強要になっていないか確かめて話すことをしています。

なぜ人は、価値観を強調したがるのでしょうか?それは、人を自分の思いのままに動かしてたいからです。親子でも同じです。子供に言うことを聞かそうと怒ることは、子供を思いのままに動かそうとしている証拠です。

子供にしつけるのに、時には、怒ることも執拗ですが、まずは、諭すことを意識して接していくことが重要です。それは、大人同士でも同じです。部下に教育する時、仕事のミスを指摘する時も諭すことから始めていくことが大事です。

絆が深い人ほど個性と価値観の違いに意識して付き合っていくことが重要です。少し気が合うだけで、自分と同じと思ってしまいガチですが、個性も価値観も違います。

同じ家族であっても価値観は、違います。100人いたら100通りの価値観が存在します。完璧に一緒の価値観って人は、いません。微妙にみんな違います。だからこそ、この価値観をぶつけ合ったときに面白いものが生まれる時があります。

価値観をぶつける中で、調和は、生まれます。お互いの価値観や個性を知り、初めて調和します。調和のない絆というのは、本当にもろいと思います。調和をするためには、お互いの関係性に上下関係があってはなりません。

人は、他者よりも優れていたいと考えます。どのようにしてポジションをとるか考えて行動をしがちです。他者と同等であることを考えて行動しなければなりません。それは、年齢に関係なくです。

これは、アドラー心理学にもいわれています。人間関係に上下関係を作ると学びが減ると僕自身は、感じています。歳は、幾つであっても、自分が気づかない視点から物を見ています。

それを聞くことで、また一つ自分の視野が増えると僕自身は、思います。相手が、年齢が下であると、なかなか相手と同等という考え方はしずらいです。そこには、固定観念も発生します。

自分は、正しいと思い込みをしてしまい、周りが見えなくなります。そうすると冷静に考えにくくなるので、気をつけなければなりません。直ぐに、相手の個性と価値観を受け入れて、調和をするということは難しいですが、意識をして変えていくしかありません。

変えられなけらば、損をする人生を送るようになると僕は、思います。僕自身もまだまだ未熟であるため、相手の個性と価値観を受け入れて、調和することができていない時もありますが、今後、成長できるように意識していきます。

本日も最後まで、ありがとうございました。


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