どうも、まるぞうです。雪、降り積もったね〜。想像以上に積もったので、驚いた。今晩、夜勤最終日やけど通勤の路面は、大丈夫かが心配。子供の頃は、雪って楽しいイメージだったけど、大人になるとここまで厄介に思うとは、思わなかった。
今日、娘は、雪が積もったことを聞き、飛び起きて雪だ遊んでいたみたい。
数日前からすごい楽しみにしていたしなぁ。
皆さんは、人のためにした行動や助言がちゃんと伝わっていますか?僕は、なかなか伝わらないと思っている。この伝えたい想いって、作業内容の伝達とかじゃなく、その人の事を想いとった行動や発言のこと。
僕が、過去に本当に友人に変わってもらいたくて行った実体験を書いていきたいと思います。本当に人生で、貴重な体験をしたと感じた瞬間の出来事です。
友人との出会い
18歳ぐらいから僕は、知り合いの方の紹介で、パチンコ屋でバイトをしていました。このパチンコ屋って変わっていて、バイトは、毎日入る事が当たり前だったのです。シフトって関係なかったんですね。
バイトというよりもプチ社員ですよ。一日に数回、周囲のパチンコ屋にお客さんの数を見にいくんですよ。その時に、その店の定員と話をすると、当時の僕のバイトしていたパチンコ屋は、特殊だって言ってましたね。
バイトでも月給が、20万近くあるんですから凄いもんですよ。パチンコ屋でバイトしていた当時は、あまりお金に困った記憶がないですね。バイトにしては、稼いでいた方かもしれません。
最初に僕がバイトしていたパチンコ屋は、建物の老朽化で建て直すことになりました。なぜか僕は、バイトなのに他店に行くことになったんです。当時の店長と仲がよかったからかもしれませんね。
店が新装をした時に呼び戻そうとしていたのかもしれません。そのために他店に移動させたのかもしれませんね。そんなこんなで、新たな店に行くことになりました。そこの新しい店も数カ月で慣れました。
その店では、バイトの方が多く、僕の地元の先輩が2名ほど働いておられました。バイト同士がなかのいい店でした。僕が、店に配属になって1年後に友人のK君が、バイトで入ってこることになりました。地元の先輩が、鍋をしようってことで鍋をすることになりました。
誰と鍋をするのか聞くとK君と先輩と3人で、K君の家で鍋をするとのことです。K君は、京都から大学を通うために一人暮らしをしていました。鍋をするには、K君の家がもってこいです。
当時僕は、K君との会話は全くなかったです。まぁ、当時の店のバイトの男は、先輩と僕とK君しかいなかったので、懇親会って感じで、先輩とK君とで話が盛り上がったそうです。盛り上がった二人が僕を誘ったのが、K君と話すきっかけになりました。
K君と本心を語る
鍋以降、僕とK君は、二人でよく遊ぶようにありました。バイトが終わるのが、23時なので、それから夜通し遊んでいました。朝5時までのカラオケは、2、3日連チャンは、当たり前でした。
遊ぶようになった当初、僕は、フリーターでK君は、学生。お互いに時間は、結構あった。友人とバイトが一緒だったことから、バイト終わりから遊び、一人暮らしの友人の家に止まることも多く、そこから一緒にバイトに行くときもあった。
K君を僕の家に招き、親に紹介して家族同然で付き合いをしていました。本当に兄弟のように遊んでいたのを覚えています。K君と仲良くなるにつれて、K君の夢の話を聞いたりもしました。
正月を僕の家で一緒に迎えて、急性胃炎で苦しむ僕を横目に僕のオカンが作ったおせち料理を食べたりとお互いの家を行き来していました。急性胃炎が治ったときには、回復祝いをしてくれました。
K君は、料理をすることが好きで将来は、自分の店を持ちたいとの夢を持っていた。友人は、人に対してどこか冷たく感じました。特に初めての人と話すとき、どこか対応が冷たく感じました。それでは、将来の夢は、厳しいのではないかと思い、友人に思っていた本音をぶつけて見た。
喧嘩は、しなっかったがどこかぎこちない空気と日々が流れた。しかし、僕は、友人に変わって欲しいとの想いから気にせずに一緒に過ごす時間を増やした。思えば、それがきっかけでより仲良くなったような気がした。
なぜ、K君は、人に対して冷たくなったのか?
僕は、K君に対して今のままでは、今後大変な目をすると思い行動を起こしました。K君は、人に対して信頼する事ができない人でした。なぜそうなったのかというと、それは、K君の生い立ちにあったようです。
友人が幼い頃に両親が離婚をし、友人は、母親に引き取られ、両親の離婚後は、父親と会う事は、なかったとの事。両親の離婚で、色々と苦労をしたみたいで、母親も結構厳しかったと聞きました。母親としては、お父さんがいないからといって、友人がいじめられたりしないように強い子供に育って欲しかったみたいです。
幼なっかた友人は、父親に裏切られた気持ちを引きずっていることが原因だと言っていた。父親がいないから母親が、自分に厳しく接することにも原因があったようです。そのことから友人の交友関係は、あまりなかったし、人付き合いが得意ではありませんでした。
幼少期も決まった友人としか遊ばなかったそうです。そのため、交友範囲は、狭かったとK君自身も言っていました。母親が、働いていたので家事は、お姉さんと分担で行っていたそうです。料理を作る事が好きだったK君は、夕食を作る事を担当していたそうです。
朝は、新聞配達をしたりと苦労をしていたそうです。家事に新聞配達を行なっていたりと忙しいK君は、あまり友人と遊ぶこともなかったそうです。そのために、人と接することもあまりなかったからかもしれません。
変わり始めた友人
時間を共有する中で、僕は、K君に僕の知人や友人をたくさん紹介し、共通の友人も増えました。バイト終わりの夜中にあてもなく、車で、走っていました。気がつけば、琵琶湖一周していたこともありました。
当時僕が聞いていたHIP HOPにK君もハマって、共通の趣味もできて、本当に楽しい時間が流れました。時が流れ、僕も就職し、K君も就職することになった時、気がつけば、友人には、多くの交友関係ができていて、人に対する対応も変わっていました。
友人が卒業後に話してくれたのだが、僕が本音をぶつけた時は、正直痛い部分を突かれても変わることなんて無理って思っていたって。しかし、僕と一緒にいて、共通の友人が増えて、僕の家族とも仲良くなっていくうちに、変わっていく自分にも驚く自分がいたと伝えてくれました。
K君のために動く僕に疑問を最初は持っていたみたいです。本当に疑問を持つと思いますよ。なぜそこまで、自分のために真剣になってくれるのって。僕の心境としては、苦労しているK君に夢を実現して欲しかったんです。
なんかよくわかりませんが、そんな想いが抑えきれないぐらい溢れかえって、K君にぶつける形になってしまったんですね。結果的に僕の好意をK君が受け止めてくれたので、いい方向に向かいましたが、こういった行為をお節介って終わらす人は、多いと思います。
僕が、K君に本音をぶつけた時の意味がわかった時には、その時から一年ちょっと経っていました。その時、K君は、『ありがとう』って言っていました。本当に最高の瞬間でした。
その時に僕は、人の想いって、なかなか伝わりにくいんだなって事を学びました。その後、友人は、いくつかの転職を行い、今は、自分の店を持っています。本当に良かったです。
職場で想いは、届くのか?
なぜ、今回この内容を書くことにしたかと言うと、今、職場の新人が、このままでは心配な状況です。
どうしたらと考えた時に、この時のエピソードを思い出しました。新人は、本当にマイペースで、とにかくコミュニケーションをとろうとしません。休憩時間もスマホに集中。支持した仕事が終わったら、ぶらぶら。
あまりこの職場に残ろうとは、思っていないと言うが、社会人としての基本を学びたいとかわけのわからない事を言う。かなり特殊な人だ。上司に相談したら、赤ちゃんを育てるつもりでって、言われました。
どうしたものか。今日の夜勤。仕事内容は、だいぶ楽なのでじっくりと話してみようかなあぁって思っています。それしかないですしね。一緒に仕事をする中で、何度か話はしているが、響いていないようです。やっぱりじっくり話をするしかないな。
今日もこのタイトルの「想いを伝えることは、できる??」って部分を思い知らされるのかと思う。彼の為に頑張ってきます。
今日もお付き合いいただきありがとうございました。
明日もよろしくお願いします。