人生

今だからこそ読むべき。福沢諭吉の『学問のすすめ』


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どうも、まるぞうです。

学生時代に歴史の授業で習った福沢諭吉の『学問のススメ』。前々から興味は、あったのですが、なかなか読む機会がなくて。これだけの年代が過ぎても色あせずに、読むことを勧められるには、それだけの理由があるのでは?って、思っていました。

今回、あるきっかけでこの福沢諭吉の『学問のすすめ』を買うことになり、読んでみました。

感想としては、今だからこそ読む本だなって、思いました。それは、本のタイトルにもあるように、学問のすすめだからです。なぜ、学ぶことが大事なのか?

学問のすすめとは、もともと17冊の分冊で発行されました。17冊の分冊が全て発行されたのちに、1冊の本として発行されたのです。

17冊の分冊で発行されているのには、訳があって、いろんな分野からこの『学問のすすめ』は書かれています。この本を読むと福沢諭吉の偉大さがわかり、一万円になるのもわかります。

その福沢諭吉の一万円から紙幣が変わるのも寂しい気がしますが。日本人であるなら、一度は、この『学問のすすめ』を読んで欲しいと心から僕は、思います。

この本の紹介にあたり、17編全てに感想を述べるのも長編のブログになるので、二つに絞って紹介をしていきたいと思います。

初編 学問には目的がある

初編の冒頭は、有名な一節から始まります。

『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』

この一節で、学問のすすめを読むんだなって気合が入りました。愚かな人と賢い人の違いは何か?それは、学ぶか学ぶか学ばないかの違いであると断言されています。

ここで学ぶ文学の対象とされているのは、実生活で役に立つことであるということです。実学と呼ばれていて、実学を学ぶことは、人間として当たり前であって、この学びを基本として、それぞれの仕事に役立てていくべきであると言われています。

自由とわがままについても書かれています。自由とわがままの境目とは、他人に害があるかないかということ。他人に迷惑がかからなかったら何をやってもいいということでは、ありません。

他人の悪い手本になることは、ダメだということです。誰かがマネをし始めると次第にその行為が広がり、世間の風紀を乱すことになると言われています。現代でいうなら、SNSの投稿でしょうか?

YOUTUBEなどで過激な動画をアップして、注目を浴びることを目的にしてで宇賀をアップしている人はいます。そういったニュースを目にしたことは、あると思います。そういったことは、ダメだということです。

この初編で、一番驚いたのが、愚かな民の上には、厳しい政府があるということです。ここでの解釈は、政府が厳しいというよりは、民が自ら招いた災いであるということです。

逆説で考えれば、良い民の上には、良い政府があるということです。民のレベルに合わせて、政府のレベルとが決まるということです。それはなぜか?

ここでは、徳と言われていますが、国民自身に学が無ければ、政府は、好き放題法律を作ってしまいます。国民に学があるならば、法律も寛容となるということです。

この部分で、僕が個人的に感じたことは、今の日本は、どうなんだあろうという事です。

多くの政治家の不祥事がニュースとして流れています。やはり、そんな政治家を選んでしまう国民には、学がないということなのでしょうか?もっと人を見る目を養うこともそうだし、政治について若い世代が学んでいくことが重要ではないかと僕は、思いました。

後日のブログでも書こうかと思っていますが、少子化問題についてもあまり手を入れる政治家は、いません。人口減少が招く災いというものをどこまで考えているのでしょうか?

これは、日本が抱える問題のほんの一片を切り取っただけなので、いろんな角度から見れば、そこに手を入れている部分は、あるのかもしれません。

まだまだ、僕の勉強不足の部分もあるかと思いますが、この本の冒頭から考えさせられる内容が多くありました。学ぶことの重要性が子にを動かす政府にまで及んでいることは、思いもつきませんでした。

学ぶことの大切さ、戦況の大切さを改めて考えさせられました。

第9編 よりレベルの高い学問

この編では、僕個人としては、もっともっと成長しなくてはいけないなぁって感じさせられました。それは、本文を用いて話をさせていただきます。

人として、衣食住を得るのは何も難しいことではないのだ。これができたからといって、別にいばるほどのことではない。

もちろん独立して生活をすることは、人間にとって重要なことであり、「自分の汗で飯を食え」とは古人の教えではあるけれども、私の考えでは、この教えを達成したからといって、人間たるもののつとめを果たしたとは言えない。この教えはただ、動物に負けていないということだ。

試しに見てみるといい。動物、魚、虫、自分で食をとらないものはいない。食料を得て一時の満足を得ることだけでなく、蟻に至っては、はるか未来のことを考え、穴を掘って住処をつくり、冬の日に備えて食料を蓄えるではないか。なのに、世の中には、この蟻レベルで満足している人もいる。

出典元:福沢諭吉 『学問のすすめ』

この一節を読んだときは、衝撃でしたね。僕自身は、会社員であって、月に決まった額の給料が入ってきます。安定した生活と言われればそうですが、衣食住を得ることは、できています。

それ以上に何をすることができているかってことなんですよね。人である以上、社会に対してどのような貢献ができているかってことなんだなぁって僕は、解釈しました。

このブログを始めて、どれだけの人に貢献できているか?また、僕自身が成長できているかってことなんです。この第9編は、僕の中では、この1節にある蟻以上にならなくてはいけないって思わされました。

あなたは、どうでしょうか?衣食住を得るだけの日々を過ごしているのか?それ以上の日々を過ごしているのか?一度考えてみてください。考えることで、行動への第一歩になってくれれば、幸いです。

この一説の後に、衣食住を得るだけで満足をすべくだというなら、人間は、ただ生まれて死ぬだけだという。生まれた時と変わらないということだといています。世界規模で、これが人間の満足すべき点であるなら、世界は、始まった時から何も変わらないとまでいっています。

そう言われるように、人間である以上何かを成し遂げていかなくてはいけません。何を成し遂げていくかは、人それぞれです。

社会に対して貢献していくのが、人であると僕は、思っています。人のために何ができるか?この部分にこだわっていきたいと思います。

この編の最後にこうあります。

われわれの仕事いうのは、今日この世の中にいて、われわれの生きた証を残して、これを長く後世の子孫に伝えることにある。

出典元:福沢諭吉『学問のすすめ』

深い一文だと思います。僕たちの仕事とは、何かってことですよね。これだけの意味を持たされると、日々の仕事にも熱が入りますよね。だからこそ、仕事というものは、安易に選んではいけないということだと思います。

僕の場合は、会社員なので、会社での僕の業績というものは、周りの人に伝えられていくということなんだなって感じました。そして、子供へと。会社での業績は、伝わらなくても僕自身というんは、人の中に残っているのだと思います。

僕が、祖母の想いを胸に日々生きているように。

最後に

この本は、いろんな分野から学ぶことの大切さを説明されています。今だからこそ読むべき本なのではないかと僕は思います。

この本を高校生ぐらいで読んでいると思うと後悔しかないですね。しかし、今だからこそ僕自身の心に響くのかもしれない。

本も何かのタイミングで、その時に出会うのだろうし。この本は、繰り返し読んで、人生の勝てしないといけない1冊だと僕は、思います。高校生ぐらいの学校教育に取り入れ部べきではないでしょうか?

日本の先人が、日本を良くするために書いた本であり、不朽の名作だと思います。

この本は、ビジネス書としても読める本です。社会人の人にも読んでもらいたい1冊です。古い時代の本だから、今の時代に通用しないのではって、思うかもしれませんが、そんなことはありません。

人としてあるべき姿について書かれているので、今の時代でも共感できることがいっぱいあります。

もっともっと、本について書いたいのですが、これ以上書くときりがないので、今日は、この辺で。

一度、読んでみたい方は、こちらまで↓

 


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